菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

『バカリズム案①』

バカリズム案 [DVD]バカリズム案 [DVD]
(2010/03/24)
バカリズム

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真っ暗な舞台に、明かりが灯る。そこには教壇があって、それから、何かを映し出すための大きなモニターがある。舞台には、一人の男が立っている。白いワイシャツに紺色のネクタイを締めた男は、まるで大学の講師か何かのように見えるが、彼の職業はそういった勉学に関係したものではない。男の名は、升野英知。またの名を、バカリズムといった。

バカリズムはそもそも、一人ではなかった。相方となる男とともに活動する名前として、バカリズムは存在していた。しかし、結成十年目を迎えた2005年、相方として連れ添っていた男は、升野にバカリズムからの脱退を申し出る。そうして、バカリズムは一人になった。

一人になってからも、升野はバカリズムを名乗り続けていた。その理由について、彼はとあるバラエティ番組で、次の様に語っている。「コンビがピンになる場合、それまでの活動がリセットされてしまうことが多い。それを避けるために、コンビ時代の名前をそのまま芸名として使うことにした」。しかし、この苦肉の策は、結果として無意味なものとなってしまう。何故ならば、ピン芸人としての活動を開始した翌年、バカリズムは“R-1ぐらんぷり”の決勝戦に進出を果たし、その舞台で披露した『トツギーノ』で、その名を全国に轟かせることになったからだ。それ以後も、バカリズムはあらゆる舞台で独創的なコントを展開し、その完成度の高さを見せつけている。

話を戻そう。舞台に立っているバカリズムは、何かを演じることもなく、素の状態で観客に話し掛けた。「今回はですね、どういう内容なのかといいますと、まあ要するに僕がここ最近、まあ一ヶ月ぐらいですかね、の間で思いついた案を、ただひたすら発表していくという、ただそれだけのライブです。それ以上でも、それ以下でもありません。“ジャストそれ”ですよね」。その語り口には、説明するのも面倒だというような、ちょっと投げっぱなしな印象を与えられた。まるで、“そんなこと分かっていて来ているんだろう?”とでも言いたげに。

ところが、そんな印象を否定するかのように、バカリズムは早々と、ライブの説明から自己の紹介へと話を移行する。わざわざライブを観に来るような人の多くは、バカリズムのことを知った上で来ているのだから、そんなことをいちいちやらなくてもいいではないか……と、そう思った次の瞬間、彼は「自分で自己紹介をするのは気恥ずかしいので、他人に対して自分に関するアンケートを取ってみた」という前フリから、とんでもない話を始める。「それではこちら。所属事務所の社員10人に聞いた、升野英知を“電化製品”に例えると何?」。不意打ち。それはまさに、不意打ちだった。ごく当たり前な自己紹介が始まるのだろうと高を括っていた、こちらの予想を遥かに上回った自己紹介を、バカリズムは提示してきたのだ。しかも、なんなんだ、この雰囲気だけのアンケートは。ハードルが高いにも程がある。

バカリズムに関するアンケート結果は、その後も続いた。「所属事務所の後輩5人に聞いた、升野英知を“怪我”に例えると全治何カ月?」「他事務所の芸人さん5人に聞いた、升野英知を“熱量”に例えると何kcal?」「アイドルグループの女の子15人(!)に聞いた、升野英知を“都道府県”に例えるとどこ?」などなど。徹底的に雰囲気だけの結果が生み出されるだけのアンケートは、しかしながら妙に共感させられる妙なものだった。

この自己紹介のくだりは、要するに升野が提示した今回のライブにおけるハードルの高さなのだろう。これを飛び越えられる人間でなければ、今回のライブを楽しむことは出来ないかもしれないよ、というような。ただ、今回のライブにおいて、このアンケート結果が最も高いハードルだったようにも思えるため、これはむしろ、本編のネタを受け入れやすくするためのハードルだったのではないか、という気もする。恐らく、バカリズムが意図していたのは、後者なのだろう。

この自己紹介が終われば、いよいよ“案”の発表である。バカリズムは観客に、様々な案を発表し始めた。例えば、物の用途を円グラフで表示してみる(つまようじの用途は“食べ物にさして食べる(50%)”と“食べカスをとる(50%)”)。例えば、人生に転がっている様々なチャンスのタイミングを教授してみる(歩行者信号が青になったら“横断チャンス!”)。例えば、投げたら戻ってきそうなひらがなベスト5を発表してみる(1位は“く”、2位は“へ”、3位は“ひ”…)。日常の中からバカリズムによって発掘されたそれらの“案“を観ていて、僕はふと一本の映画のことを思い出していた。

『TAKESHI’S』という映画がある。2005年に公開されたこの映画は、芸人であり映画監督でもある北野武が、自身の“発想”の経緯を映像化した作品だ。そして僕は『バカリズム案』が、この『TAKESHI’S』に似ているように感じたのである。その理由は、どちらもその発想が剥き出しになった、いわば“すっぴん”の状態で公開していたからなのだろう。余計な演出を含まないある種の潔さを、僕は両者の作品に感じていたのである。

ありとあらゆる案が発表され、こちらの口角が痛くなってきたところで、ライブは終了。結果として、どの案もまったく役に立たないものばかりだったが、それらの案は“日常の常識を弄ぶことの楽しさ”を提唱しているようでもあり、その感覚はひょっとしたら生きていく上で大切なことなのかもしれないな、などと思ったりなんかもしてみたりなんかした。が、そんな偽善的なライブではなかったと思い返し、やはり意味はなかったと思い直すのであった。意味無いじゃん、と笑っておこう。

ちなみに今作、販売サイトなどでは表示されていない様だが、実はナンバリングされている。ひょっとしたら今後、『バカリズム案』は第二弾・第三弾・第四弾とリリースされていくのだろうか。それほどに案のストックが溜まっているのだろうか。案ストックが溜まっているのだろうか。案ックが……もういいか。とにかく、これからの展開が楽しみである。


・本編(77分)

「オープニング」「生活に関する案」「名前に関する案」「道具に関する案」「記憶に関する案」「順位に関する案」「証明に関する案」

・特典映像(20分)

「没案」「雑案」