菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

『イッセー尾形のひとり芝居「わたしの大手町」2010』

一人芝居といえばイッセー尾形である。いつの頃からそう言われるようになったのかは知らないが、とにかくそういうことになっている。そして確かに、一人芝居といえばイッセー尾形なのである。イッセー以外にも一人芝居を持ち芸とした芸能人がいないわけではないのだろうが、如何せん他に誰も思いつかない(友近劇団ひとりは“一人コント”だよなあ)。もはや、一人芝居というジャンルは、イッセーの専売特許になってしまっていると言っても過言ではないのかもしれない。

このような状況に至った原因は恐らく、イッセーが“一人芝居”以外の点において特筆すべき要素をなんら持ち合わせていなかったためだろう。他の芸能人に比べて、イッセーはとても器用と呼べるタイプではない。トーク番組に出演しても何処となく場違いな雰囲気を醸し出しているし、ドラマや演劇でも目立った活躍を見せるタイプではない。バラエティ番組もまた、言わずもがな。これら他の舞台で活躍することが出来ないから、唯一無二ともいえる特技である“一人芝居”が過剰にクローズアップされたのだ。日の丸弁当を想像してもらうと分かりやすいかもしれない。白飯の中にポツンと存在している梅干しは、他に何もないからこそ目立つ。それどころか、日の丸弁当という名称の中心になることさえ出来る。有難い話だね、どうも。とはいえ、日の丸弁当にとっての梅干しがバカに出来ないように、イッセーの一人芝居だって決してバカには出来ない。三十年近く一人芝居を続けてきたイッセーのステージは、今や他に類を見ない完全オリジナルの空間を生み出している。

イッセー尾形のひとり芝居「わたしの大手町2010」』は、2010年7月に行われたイッセー尾形のステージを収録した作品だ。2009年から、イッセーはローソン限定で自身の公演を収録したDVDをリリースし続けていて、今作はその第三弾に当たる。本作でテーマとなっているのは、オフィス街で働くサラリーマンやOLたち。まったく違った場所でそれぞれの作業に励んでいる人たちの姿を、イッセーが哀愁と慈愛を持って演じている。

イッセー尾形の一人芝居が評価されている要因の一つが、“リアリティ”だ。イッセーが演じる芝居に登場する人物たちは、いずれも現実に存在し得るリアリティで包まれている。そもそもイッセーは、特定の人物特有の行動を再現することで、注目を集めるようになった芸人だ。例えば、初期の演目『英語教師』では、教師ならではの言動を半ばオーバーに演じることで、笑いを生み出していた。柳原可奈子演じる『ショップ店員』などは、その系譜にあるといえるだろう。本作においても、そのリアリティは健在。中でも、受付を担当している若手社員が仲間同士で群れながら、真面目と不真面目の間を左右する『式典』は、まさしく今の時代を切り取った傑作だった。

しかしイッセーの真骨頂は、単なる“リアリティ”ではない。その神髄は、これまでに培ってきた“リアリティ”を下地とした、“自由奔放”なステージにある。本作でいうところの『琵琶』がそれだ。家に帰ってきた中年女性が趣味の琵琶に興じる……という、ただそれだけの内容なのだが、正直なところイッセーが琵琶を弾きたいだけという趣が強い演目である。途中、ベンチャーズのデンデケデケデケを琵琶で再現しようとしたのには、なかなか驚かされた。そういえば以前、チェロで源平合戦を語っていたこともあった。もはややりたい放題である。なのに、その様子が妙におかしい、面白い。その理由は、きっと誰もがそんな自由奔放な時間、空間というものを日常の中に築いているからなのだろう。誰に見せるためでもない、ただ自分の為だけに過ごす時間、空間。だから、僕らは『琵琶』に妙な共感を覚え、親近感を覚え、自然に笑えてくる。「ああ、そういうことをしてしまう時間って、あるよね……」と。

イッセー尾形の梅干しは年重ねるごとに風味を増し、今や人の舌の限界まで染み渡る味。これはもはや、日本人の脅威である。


・本編(100分)

「宴会部長」「式典」「喫煙OL」「停電ホテル」「キャッチコピー 旅行パンフ編」「ヘイ!タクシー」「琵琶」