菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

カンニング竹山単独ライブ『放送禁止 2011』『放送禁止 2012』

カンニング竹山単独ライブ「放送禁止 2011」 [DVD]カンニング竹山単独ライブ「放送禁止 2011」 [DVD]
(2013/02/20)
カンニング竹山、ひぐち君 他

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カンニング竹山単独ライブ「放送禁止 2012」 [DVD]カンニング竹山単独ライブ「放送禁止 2012」 [DVD]
(2013/02/20)
カンニング竹山、ひぐち君 他

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カンニング竹山単独ライブ『放送禁止2011』『放送禁止2012』を立て続けに観た。

カンニング竹山が単独ライブ『放送禁止』を初めて開催したのは、2008年10月のことだ。ライブのコンセプトは、文字通り“テレビでは出来ない、やりにくい、やらせてくれないことをする”というもの。その舞台で彼が披露したものは、金融会社から四百万円を借りる方法の伝授、オナホールTENGA”を開発したクリエイターのドキュメント、前田健をゲストに招いて繰り広げられるゲイの寸劇……などなど、どれもこれもテレビでお目にかかるのは難しそうな企画ばかり。とはいえ、決してアウトローに偏るということはなく、ひとつのエンターテインメントとしてそれなりに楽しめる内容だった。しかし、それを観た当時の私は、舞台上の彼に対して違和感を覚えずにはいられなかった。当時、既に“カンニング竹山”はタレントとしての地位を確立、バラエティ番組にもひっぱりだこの状態にあった。そんな彼が、どうしてこんなライブをやらなくてはならないのか。正直、理解に苦しんだ。(当時のレビュー)

翌年の2009年11月に、竹山は単独ライブ『放送禁止 2009』を開催する。そのステージで彼は、写真週刊誌で話題となった浮気発覚事件の裏側で、実際にどういうことが起きていたのかを、二時間かけて赤裸々に告白してみせた。確かに、こういうスキャンダルの裏についてのがっつりとした告白は、なかなかテレビでは見られないかもしれない。だが、実際に“放送禁止”と呼ぶに相応しい内容だった前作に比べると、些か物足りなさを覚えた。(当時のレビュー)

更にその翌年、2010年10月に開催された『放送禁止 2010』において、竹山は「キレる」をコンセプトとしたステージを展開した。かつて、彼が実際に仕事をした企業や人物にキレまくる姿は、前回に比べると間違いなく“放送禁止”というタイトルに合った内容ではあった……のだが、今度はネタとネタの間で披露されていた過剰な芝居パートのウザさが鼻についてきた。これに関しては、構成・演出を担当している鈴木おさむの失敗であると私は思う。天才芸人・鳥居みゆきまで引っ張り出しておきながら、あのエンディングは幾らなんでも作為的過ぎた。(当時のレビュー)

この2010年の段階で、ライブ『放送禁止』はすっかり頭打ちしているように感じられた。その印象が私個人に限定されたものではなかったのか、それまでライブの翌年にはソフト化されていた『放送禁止』シリーズが、その後しばらくDVDにならなかった。発売元であるコンテンツリーグが、経営的に少し厳しい状況にあったことも大きいのだろうが、それでも早々に『放送禁止』が切られたということは……つまり、そういうことなんだろう。

ところが2012年、状況は大きく変動し始める。この年、性懲りもなく開催された『放送禁止 2012』が、各方面で話題となったのだ。人伝に聞いたところによると、このライブで竹山は、かつての相方・カンニング中島について語ったのだという。バラエティ番組では極力相方の話をしようとはしなかった彼が、遂にその重たい口を開いたのだ。かくして2013年2月20日、『放送禁止 2011』『放送禁止 2012』のDVDが同時発売された。……ちなみに、過去の『放送禁止』シリーズに必ず収録されていた副音声解説は、この二作品には付いていない。鑑賞前は「ゲストを呼ぶ金も出なかったのか」と勘繰ったものだが、鑑賞した後は、それがこの二作品に対する自信の表れだということを確信した。いや、本当に凄かったんだから。

 

カンニング竹山単独ライブ『放送禁止 2011』は、二部構成になっている。

前半パートはカンニング竹山40歳記念 40個のありがとう!”と題し、竹山がこれまでに関わってきた様々な人たちに対して「ありがとう」を送るという企画。勿論、『放送禁止』の名に相応しく、単なる感謝の言葉だけでは終わらない。その内容は、「ありがとう」という美しい響きとは裏腹に、強い悪意を匂わせていた。例えば、こういう感じ。

40年前の1971年。昭和46年4月2日午前5時30分。福岡県福岡市蜂須賀産婦人科というところで、僕竹山隆範、後のカンニング竹山が生まれました。僕を産むとき、母親はえらく難産だったらしくて、僕を出産する直前に大量のウンコを漏らしたそうです。そして、その中に、ウンコの中に、産み落とされたのが僕です。だから、ずーっと僕、家族中から「ウンコまみれで産まれた、ウンコまみれで産まれた」と言われました。

そして、僕三人兄弟の末っ子なんですけど、去年の暮れに、母親が僕にこう言ったんです。実はあんたは、望まれて出来た子どもじゃなかったと。お酒飲んで、楽しそうに言ってました。でも、そうやって産まれた僕でも、40年間こうやって幸せに生きてます。そして今日、このライブが出来るくらいに、幸せに人生を暮らせています。なんで、まず最初のありがとうは、この人たちから言わなきゃいけません。

お父さん、お母さん、僕を産んでくれてありがとう。

この他にも、出生に関する話、カトリック系の幼稚園にいたシスター“グレゴリラ”の話、小学校で出会った教師“つる先生”の話など、いずれも世間には公表し辛いレベルのえげつなーい「ありがとう」の話が披露されている。法律、宗教、思想、教育に対して毒を吐く場面も少なくなく、実に清く正しい『放送禁止』な漫談だったといえるだろう。

しかし、この“40個のありがとう”が最も素晴らしい点は、それらのえげつないエピソードの数々が現在の竹山に直結しているというところだ。いわば、これは“カンニング竹山”という芸人の思考回路を形成する、経験の欠片ひとつひとつの確認作業なのである。だからこそ、それはとても壮絶で、かつ骨太だ。だが、そこでは、彼自身を語る上で欠かすことのならない“相方”の話は披露されていない。その事実こそ、これが翌年に開催される『放送禁止 2012』の前フリとしての役割を果たしていることを、如実に表している。これを観ずして、『放送禁止 2012』を語ることは出来ないと言っても過言ではないだろう。無論、中には嘘も含まれていたのかもしれないが、そこは重要ではない。大切なのは、それらのエピソードを事実であるように見せていることに、きちんと成功しているかどうかだ。少なくとも、彼はそれに成功していた。

後半パートは“リサーチ演説『障害者について』”。ここで竹山は、「真実のバリアフリーとは何か?」というテーマを元に、当時は月に一度だけ放送されていた障害者向けバラエティ番組『バリバラ』(ETV)について詳しく紹介していた。

正直なところ、現在では週に一度のレギュラー番組として放送されている『バリバラ』について解説するという遅れ放送的なズレに、ちょっとだけ違和感を覚えたのは事実である。それでも、そこで竹山が語ってみせた話は、『バリバラ』の熱心な視聴者ではない人間には十二分に響くレベルの濃度で、やたらめったらに面白かった。彼が番組に関わるようになった理由からちょっとずつ内容に触れていく導入も、知らない人間にとても優しく出来ていたように思う。番組を知らない人は勿論、番組を以前から知っている人でも再発見する部分が少なからずあるのではないだろうか。個人的には、「『バリバラ』の司会をしている玉木さんが、どうして司会に選ばれたのか」というエピソードに、些かコーフンさせられた。

そして、話は震災へ。

被災した障害者のために、何か出来ることはないかと考えた竹山は、『バリバラ』のプロデューサーに相談する。すると、まさかの返事が。「じゃあ、障害者プロレスのリングに上がってくれ!」。実は、日本には障害者プロレスの団体が三つ存在するのだが、そのうちの一つが仙台にあって、そのプロデューサーは『バリバラ』でその団体を追いたいと考えていたのだという。かくして、竹山は健常者として、障害者に手を上げなくてはならないことに……。

告白しよう。事前に話題になっていたのは『放送禁止 2012』の方だったので、私はこの『放送禁止 2011』にはあまり期待していなかった。どうやら『バリバラ』を取り上げているらしいので、それなりには楽しめるだろうなあ……と、その程度にしか考えていなかった。しかし、その予測は、完全に的外れだった。全編、とてつもなく面白かった。本当に、これがあの頭打ちしているとしか思えなかった『放送禁止』シリーズの作品なのか疑ってしまうくらいに、面白かった。第一部だけを単品でリリースしていたとしても、第二部だけを単品でリリースしていたとしても、十分に成立する程のクオリティだった。

加えて、第一部と第二部の間で披露されていた、インターミッションも良かった。実は、この『放送禁止 2011』は、竹山が行きつけのバーで今度の単独ライブでやる内容を思案しているという設定の元に展開しているのだが、インターミッションではそのバーのマスターとしてよゐこ有野晋哉が出演しているのである。お互いの悪い部分(主にアッコ関連)を暴露し合うという際どい内容ではあったが、有野の持つユルーい空気がそれをきちんと笑いに昇華していて、とても楽しかった。過去の『放送禁止』では、このインターミッション部分にプロの役者を投入していたが、有野の様なコント師を起用していれば、あのような結果にはならなかったんじゃないか……という気がしないでもない。とにかく、鈴木おさむの汚名返上。……いや、最後にまた作為的に見えるところがあったから、まだまだかな? しっかり仕事しろっ。

140分超にも及ぶ、長きに渡るライブの終盤。竹山は叫ぶ。

お前がいたから、今のオレがあります。

お前と組んでいたから、今こうやってライブで喋れるオレがいます。

カンニング中島。

でも、お前への「ありがとう」は、一言では足りません。

この話の続きは、来年の『放送禁止 2012』で全て話します!

そして、カンニング竹山単独ライブ『放送禁止 2012』へと、繋がっていった。

『放送禁止 2012』については、とにかく「観てもらいたい」としか言いようがない。正直なところ、完成度という意味では、ちょっとだけ『放送禁止 2011』より劣るとは思う。でも、そこで語られている、かつての相方に対する熱い思い、また、自分の身の回りにいる芸人たちへの愛情、それらがギュッと凝縮されているトークは、もはや完成度だなんだという領域を超越していた様にも思う。その、最期の瞬間まで、あまりにも芸人らしく生きていた中島の、世間に殆ど知られることのなかった芸人としての生き様を、是非とも知ってもらいたい。それを私の言葉で伝えるのは、ちょっと野暮に思う。だから、観てほしい。どうか、観てほしい。

ただ、あえて興味を持ってもらえるような部分を紹介するならば、ライブの中盤で竹山とゲストがカンニングの漫才を再現するくだりがあるということぐらいだろうか。当時、ライブは三日間開催されたのだが、それぞれの開催日でゲストが違っていたという。初日のゲストは、児島一哉(アンジャッシュ)。二日目のゲストは、柴田英嗣アンタッチャブル)。そして、楽日のゲストは、上田浩二郎(Hi-Hi)。本作には、最終日の模様が収録されている。正直、華や話題性でいえば児嶋・柴田の方を収録するべきだったんだろうが、カンニングの漫才に対する愛着という意味では、上田は十二分に役割を果たしていた様に思う。「うわっ、ナマで見れた!」とコーフンする上田、そんな上田のカンニング時代のネタフリに「懐かしいっ!!!」と満面の笑顔ではしゃぐ竹山。それだけでも、一見の価値有り。


■『放送禁止 2011』(141分)

カンニング竹山40歳記念 40個のありがとう!」「リサーチ演説『障害者について』」

■『放送禁止 2012』(119分)

カンニングの歴史」「相方の死で笑える話を作ろう!」「リサーチ演説『葬式について』」「相方の死で笑える話を作ろう! ~告別式編~」