菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

「小林賢太郎演劇作品「振り子とチーズケーキ」」(2014年5月21日)

こんな感じになる筈じゃなかった。

そんな風に考える機会が増えたような気がするのは、私が年を取ってしまったからなのだろうか。思えば、若い頃の私は、あまりにも楽観的に将来を捉え過ぎていた。漠然とした目標地点と、そこを目指そうとする努力の怠り。そして今、目の前に浮かんでいた夢や希望は相変わらず浮かび続けたままで、後ろには堕落の日々が犬のフンの様に転がるばかり。こんなことではいけない! と奮起する気にもならず、また堕落に埋没する我が心の愚かさにはもはや目も当てられない。

しかし、考えてもみれば、この浮世を生きる人々の夢の大半は、夢は夢のまま、実現することなく排水溝へと流れていく運命にある。考えてもみよ、世界中の宇宙飛行士志願者たちが全員宇宙飛行士になったらば、宇宙は宇宙飛行士でいっぱいになり、スペースシャトルは通勤電車の様なぎゅう詰め鮨詰めハシ詰んめな状態になってしまうではないか。夢の間口はいつでも窮屈、入りたくても入れない。それが分かっているから、そもそもハナから目指さない。でも、憧れている。行きたいのか。行けないのか。行きたくないのか。どうせ、行けるわけがないのか。何もかもを諦めてしまうのか。では、諦めてしまった後に、何が残るのか。

小林賢太郎が手掛ける演劇作品第9弾『振り子とチーズケーキ』は、冒険旅行に憧れる図書館員が偶然拾った日記帳を持ち帰った日の出来事が描かれている。登場人物は二人だけ。図書館員の“私”(竹井亮介)と、“私の心”(小林賢太郎)。誰の落とし物なのかを確認するために日記帳を開いた“私”は、その持ち主である女性の自由奔放な生き方に驚かされる。世界中を旅し、世界中の食べ物を口にして、世界中の男たちと交流する。一体、彼女は何者なのか。彼女の理想の男性像から当人へと辿り着くべく、日記を片手に“私”は“私の心”と自問自答を繰り返していくのだが、やがて“私”はそこに自らの理想を描き出してしまう。気が付けば……そこには、劣等感が浮かび上がっていた。理想とする自分と現実の自分。その広すぎるギャップから、理想そのものから目を逸らし、そして……「どうせ俺なんて!」

【独身文系男子に捧ぐ。】というキャッチコピーが示しているように、この作品は決して外向的とはいえない独り身の男たちに向けられた作品だ。私もそういう人間なので、作中のメッセージがやたらと突き刺さった。心が闇へと落っこちていく瞬間、するりと希望からこぼれてしまう瞬間、そのさり気なさがたまらない。だが、それでいて、メッセージ性に固執しているわけでもない。いつものラーメンズよろしく、言葉遊びを用いた笑いや個性的で愛らしいキャラクターたちに満ちたステージを楽しめる。むしろ、だからこそ、このメッセージがド直球で突き刺さる。前作『ロールシャッハ』は、メッセージの内容が重過ぎたために、些か現実離れした話として受け止めてしまったが、本作はパフォーマンスとメッセージがきちんと釣り合った、素晴らしい作品だったと思う。

上手く生きられない孤独な人たちのための寓話、是非に。


■本編(93分)
出演:竹井亮介小林賢太郎