菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

『一九八三』(三四郎)

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(2014/05/28)
三四郎

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三四郎『一九八三』を観る。

三四郎はマセキ芸能社所属の漫才師である。同じ中学校の同級生だった小宮浩信と相田周二によって、2004年に結成された。人力舎の芸能養成所“スクールJCA”の卒業生で、同級生には阿諏訪泰義うしろシティ)などがいる。結成から現在まで、漫才師としてこれといった結果を残していなかったが、『ゴッドタン』で放送された企画【この若手知ってんのか2013秋】に「若手の間で「コイツは天才だ!」と一目置かれている芸人」として出演したことをきっかけに注目を集め始める。近年では、小宮が同じ事務所の先輩である出川哲朗狩野英孝に続くポンコツ芸人として『アメトーーク』に出演、その生意気で攻撃的なリアクションが人気を博している。本作は、そんな三四郎の漫才をまとめた、ベストセレクションだ。

私が初めて三四郎の漫才を目にしたのは、ナイツが2011年9月2日に国立演芸場で開催したライブの模様を収録した『ナイツ独演会 其の二』を鑑賞した時だった。ナイツ独演会にはゲストを迎えることがお馴染みとなっており、漫才協会に所属しているカントリーズ、落語芸術協会に所属している春風亭昇太とともに、三四郎のネタも収録されていた。ちなみに、このライブは二日連続で開催されており、9月3日には中津川弦ツィンテル中川家がゲストとして出演していたとのこと。……そっちはそっちで観たかったような気がしないでもない。

この時、三四郎が披露していた漫才は『悪魔ゲーム』。小宮が謎の遊び“悪魔ゲーム”をやろうと相田に持ち掛け、ルール説明とともにゲームを進行するネタだ。ムチャクチャなルールを悪態とともに押し付けてくる小宮と、そのムチャクチャさにツッコミを入れつつも翻弄され続ける相田のやり取りはとてもぎこちなく、当時の私は、その他に類を見ない設定に感心しながらも、なんだかスッキリしないモノを感じたものである。

ちなみに、このDVDには、ナイツによるネタ解説副音声も収録されている。漫才師の先輩である二人は、三四郎の漫才に対して次の様にコメントしていた。

塙「すぐ「悪魔ゲームやろう」って入ったでしょ。こういうの期待してたの」

土屋「ああ、そうですか!」

塙「ウケるウケないとか、どうだっていいんです三四郎は。ウケたらウケたで、ハマればウケるし、まあ……結果的にハマんなかったんですけども」

土屋「(笑)これはやっぱハマらないでしょ。俺、このネタはM-1の三回戦とかに」

塙「ああ、やったの?」

土屋「いや、わかんないけど。こういう感じでいきなり始めて、『悪魔ゲーム』で始めて飛び込んで来たら、「おっ、なんだコイツら」って引っ掛かって準決勝に行くってパターンはあると思うんですけど、あのー……この流れだと、ちょっとやっぱ説明があってからの方がいいか、もしくはいきなり小宮くんが始めたにしても、それを相田くんが最初のうちに、もうちょっとツッコんだ方が良かったのかなあ、とか」

塙「丁寧ではないよね。確かに俺らが18分(漫才を)やった後に、急に『悪魔ゲーム』だと……」

土屋「急に出てきて「どうもー! 悪魔ゲームやろうよ!」だから」

塙「……三四郎の良さは出てるよね」

【略】

塙「徐々に徐々に、徐々にやっぱりハマってくる。逆にこれが、三四郎が始めね、「どうもーっ」ってまともなことを言っちゃうと、やっぱりその後『悪魔ゲーム』やったって、もっとウケないのかもしんないんだよね」

土屋「そうですよねえ」

塙「だから、しょうがないんだよ。三四郎は三四郎って、やっぱお客さんに印象残ったと思うんだよね」

漫才のテクニックの甘さを批判する土屋と、それでも漫才のセンスを評価する塙の対比が興味深い。

なお、翌年の2012年9月に開催された独演会の模様を収めた『ナイツ独演会 ~浅草百年物語~』のネタ解説に、某芸能人に「ナイツのネタでは笑ったけれど三四郎の『悪魔ゲーム』は全然面白くなかった!」という話をされたというエピソードがひっそりと収められている。確かに、この時点での三四郎だけを見ると、ちょっと評価しづらいモノがある。「全然面白くなかった!」という辛辣な感想を抱いても、仕方がないのかもしれない。

この、2011年の時点では。

 

『一九八三』で披露されている三四郎の漫才は、『悪魔ゲーム』のそれとは大きく違う。

例えば、漫才の設定だけを見ても、その違いは歴然としている。ドリフ大爆笑のオープニングをやってみる『ドリフ』、好きなおでんの具の話をしている小宮を延々と放置し続ける『好きなおでん』、モノマネ番組におけるご本人登場パターンをやってみる『モノマネ』など、まったくの創作だった『悪魔ゲーム』に比べて、かなり観客がとっつきやすいテーマに絞り込まれている。とはいえ、決して客に媚びているわけではない。中には、リア充に劇薬をぶっかける漫才をやりたい衝動に駆られている小宮に別の設定を薦める『リア充』、彼女がいない小宮はクリスマスにちょっとエッチなお店に行った経験があるだろうと決めつけ続ける『あるよ!』、肩を揉まれると喘ぎながら映画のタイトルを叫んで絶頂に至る発作が出てしまう『桐島』など、かなりムチャクチャな漫才もある。それでも、完全な創作にはなっていない辺り、ムチャクチャをやるにしても限度を意識しているようには感じる。漫才師として、丁度良いバランスを見つけ出したのかもしれない。この設定の変化によって、小宮のボケは悪態のボキャブラリーに重点を置くようになった。本作でも素晴らしいワードセンスを見せつけているが、ここで書き起こすのは勿体無いので省略する。

その一方で、少し変わった進化を遂げたのが相田だ。『悪魔ゲーム』において、相田は小宮のムチャクチャさに翻弄されるタイプのツッコミでしかなかったが、本作では堂々と小宮と対峙している。小宮がどんなにムチャクチャなことを言おうが、ムチャクチャなことをやろうが、余計なツッコミを入れることなく、ニコニコしながらじっと構えている。小宮が求めていたことを飛び越え、ボケとツッコミの立場が逆転してしまうこともしばしば。あまりのボケっぷりに、思わず小宮も「親の仇のようにボケるな!」とツッコミを入れるほど。もはや、どちらがボケでどちらがツッコミなのか、正確に判断することも難しいスタイルになっている。それなのに、ちゃんと漫才として成立していることに、驚かざるを得ない。いや、思えば、在りし日の横山やすし・西川きよしも、ボケとツッコミが即座に入れ替わる漫才をしていたと聞いている。ことによると、三四郎は現代の……と決めてしまうのは、流石にまだ早すぎるだろうが。

現在、三四郎は小宮のリアクションばかりが注目を集めているが、近いうちに必ず、漫才師として正当に評価される日が来るだろう。いや、評価されなくてはならない。そう言い切ってしまわないといけないレベルに、彼らは達していると思う。この年末、きっと彼らは、あの華やかなステージに立っている。ひとまず、その姿を確認するために、この平凡な日常を過ごしてみようと、私は思ったのであった。おしまい。


■本編【56分】

「ドリフ」「リア充」「高円寺」「DB」「好きなおでん」「いつかのメリークリスマス」「モノマネ」「モテたい」「あるよ!」「美容師」「桐島」