菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

8.6秒バズーカー『ラッスンゴレライブ』(2015年6月17日)

初めてラーメンズの『現代片桐概論』を観たときは、それの何が面白いのかがさっぱり分からなかった。『現代片桐概論』とは、白衣を身につけた小林賢太郎演じる講師が、片桐仁演じる“教材用片桐仁”を隣に立たせた状態で「カタギリ」という生物について講義するコントである。無論、カタギリなどという生物は実在しないので、そこで語られている内容は全て嘘、虚構だ。だが、その嘘が、他人に追及されることはない。なにせ、相方の片桐は“教材用片桐仁”としての役目を全うしなくてはならないために、口を開くことも出来ない。結果、嘘は嘘のまま舞台上に放り出され、そのまま垂れ流しになってしまう。

笑いについて学術的な側面から研究している井山弘幸氏によると、この『現代片桐概論』はリアリティの破壊を描いているのだそうだ。小林によって展開されるリアルな講義の中に、実在しないことが明白なカタギリが違和感無く存在していることによって、可笑しみが生み出されるのだと。また、その笑いを理解するためには、現実の大学講義を比較対象する視座を確保することが条件である、とも解説している。当時、まだ大学に入ったばかりで、講義を受けた経験の少なかった私が、このコントを理解できなかったのも致し方無かったといえるのかもしれない。この『現代片桐概論』のようなコントのことを、彼らは【非日常の日常】と表現していたように記憶している。実在しない事物をリアルに描く。だからこそ、そこに説明役のツッコミは必要無い。この独自のスタイルが、ラーメンズというコンビを孤高の存在へと押し上げていくことになるのだが……それは、また別の話である。

実際には存在しないモノの詳細をリアルに突き詰めていくことで笑いを生み出していたのが『現代片桐概論』なら、実際には存在しない言葉の詳細を突き詰めていくようでまったく突き詰めようとしないことで笑いを巻き起こしたのが『ラッスンゴレライ』といえるのかもしれない。

2014年に結成された超若手お笑いコンビ・8.6秒バズーカーの『ラッスンゴレライ』は、はまやねんが何の前触れもなく口にした「ラッスンゴレライ」という謎の言葉の意味を、相方の田中シングルに「説明してね」と全て押し付けてしまうやりとりで幕を開ける。何も聞かされていない田中は「ちょと待てちょと待てお兄さん!」とツッコミを入れるが、はまやねんは聞く耳を持たず、「楽しい南国、ラッスンゴレライ」「彼女と車でラッスンゴレライ」などの統一感の無い使用例を出して、翻弄するだけだ。結局、「ラッスンゴレライ」がどういう意味なのか分からないまま、ネタは終わってしまう。

意味を持たない言葉で観客を翻弄する『ラッスンゴレライ』の形式は、かつてムーディ勝山が披露していた何か分からないものが右から左へと流れていく様子を熱唱する歌ネタ『右から来たものを左へ受け流すの歌』に似ているように思える。どちらのネタも、しつこいほどに周辺の情報は語られるのだが、その詳細は明かされないからだ。ただ、ムーディが右からやってくるものを【何か】と称していたのに対し、8.6秒バズーカーは【ラッスンゴレライ】という具体的なワードを取り入れていた分だけ、僅かに深みが生じている。その点が、彼らが単なるムーディの後追いになっていない理由なのだろう。ちなみに、先程も登場した井山弘幸氏は、ムーディの歌を、気になることを言わずに宙吊り状態する「サスペンス・シュール」と評している。不可解な状態が解決されないからこそ、こういうネタは面白い。最近では、あまりにも消費され過ぎて、単なる楽曲の一つと化してしまっている感もあるが……。

『ラッスンゴレライブ』は、そんな8.6秒バズーカーが2015年3月23日に“笑いの殿堂”なんばグランド花月で開催した単独ライブと、同年4月4日にルミネtheよしもとで開催した単独ライブの模様が収められている。

前作『ラッスンゴレライ』はミュージシャンのプロモーションビデオを意識した内容になっていたが、本作もまた、ミュージシャンのライブパフォーマンスを思わせる作りになっている。彼らの代表作『ラッスンゴレライ』には過剰なBGMが付け加えられているし、カッコイイサビにお似合いな歌詞を挟み込もうとする『走りダッシュ』では観客の手拍子が止まらないし、二人が警察官に扮して犯人を追い詰める様子をポップに歌う『ポリスオフィサー』の前フリVTRはヒップホップユニットのプロモーションビデオの様。いずれも、カッコつけていることをギャグにしたがっているのはなんとなく伝わってくるのだが、場数の少なさが故か、それがまったくサマになっていない。正直、どれもこれも、学生のバカ騒ぎにしか見えない。まあ、考えてもみれば、仕方がないことではある。デビューから一年も経っていない経験の浅いコンビに単独ライブを任せる方が、どうかしているのだ。

その意味では、本作で見るべきは『初めての一発ギャグ』『初めてのモノマネ』『初めての出落ち』などの“初めてシリーズ”といえるのかもしれない。経験値の少なさを逆手に取っているこれらのパフォーマンスは、さして面白くなかったとしても(そして実際、さほど面白くはない)、そこには彼らの歴史の第一歩という付加価値が生じている。今後、8.6秒バズーカーというコンビが、どの様な展開を迎えることになるのか、それは誰にも分からない。時代を代表する若手最右翼コンビになるかもしれないし、一発屋として静かに場末へと消えていくかもしれない。結成三十周年を迎えても現役バリバリで活動しているベテランコンビになっているかもしれないし、来年には解散しているかもしれない。彼らがそんなことになったとき、この“初めてシリーズ”はその結末へと向かうスタート地点として、確固として存在し続けてくれるわけだ。

先がまったく見えない彼らの現時点での輝きを収めている本作は、いわば8.6秒バズーカーというコンビの青春の1ページだ。藤崎マーケットがどんなにリズムネタの危険性を問おうとも、斎藤司(トレンディエンジェル)の頭皮がどんなにペッペッペー♪したとしても、ひょんなことから彼らがロシアのスパイだという疑いをかけられたとしても、それも全ては彼らの思い出となっていく。そんなことを考えながら、本編のラストを飾る馬と魚による『走りダッシュ ~アコースティックVer.~』を観ていると、不覚にも涙が出そうになってしまった。……ていうか、よしもとの芸人で一番8.6秒バズーカーにいっちょ噛みしているのって、もしかしてオリエンタルラジオでも藤崎マーケットでもなくて……。

嘘もガセもデマも乗り越えて、8.6秒バズーカーの青春はまだ始まったばかりだ。

最後に余談だけど、全編に渡って二人の発言にテロップが入り続ける演出って必要だったのだろうか。歌のパフォーマンス部分だけならまだしも、普通のフリートークにも字幕を付けるのは、ちょっと過剰だったように感じた。彼らの実力に対して不安を抱いていたからなのか、彼らを求めているネットユーザー層を意識してのことなのかは分からないが、せめて字幕の有無が選択できるようにしてくれても良かったのでは。


■本編【105分】

「ラッスンゴレライ」「走りダッシュ」「ポリスオフィサー」「ストリートミュージシャン」「お弁当」「初めての一発ギャグ」「初めてのモノマネ」「初めての謎かけ」「初めてのモノボケ」「初めての写真で一言」「初めてのけん玉」「初めての万歩計バトル」「初めてのマジック」「初めてのビリビリペン」「初めての出落ち」「初めての熱々おでん」「初めての寝起きバズーカ」「初めての漫才(ルミネtheよしもとVer.)」「初めてのラララライ体操」「ラッスンゴレライ ~アコースティックVer.」「ラッスンゴレライ ~クラブRemix」「走りダッシュ ~アコースティックVer.~SONG by 馬と魚」