菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

まるで夢の様。『モーゴの人々』

 思えば、シティボーイズのコントを観始めて、今年で何年目だ? 聞いてどうする。忘れたのなら、こんな前置きで始めなければ良いのに。思い出すために、過去のDVD作品購入表を確認することにする。確認! ……なるほど、僕がシティボーイズコントライブDVDを初めて買ったのは、2003年12月の頃だったのか……って、何を感心しているんだ僕は。とどのつまり、ほぼ4年目のシティボーイズということである。
 この4年間、僕はシティボーイズを観続けてきた。実際のライブでは見ていないけれど、ライブDVDで観続けてきた。なので、実際のライブで見てきた人ほどには彼らのことを観続けていないとは思うけれど、でも、それなりに観続けてきたと思う。その時間はつまり、シティボーイズに対する僕の愛情の程を表している。僕のシティボーイズに対する愛情は、4年間である。今の僕が23歳だということを考えると、人生のおよそ6分の1くらいはシティボーイズを愛していたということになる。たぶん、長いほうだと思う。基準値がまったく分からないけれど、長いんじゃないか。
 どうしてそこまで、僕はシティボーイズを愛しているのか。理由は単純だ。彼ら自身が「後に何も残らない」と公言しているように、シティボーイズのコントには意味が無い。もっと言うと、中身が無い。下らなくってバカバカしくって、笑えるのだけれど何も無い。でも、そこに彼らの美学を感じる。そこなんだよなあ。意味の無いことに対する、この上ないポリシー! そこが実に美しく、カッコ良い。
 今回のライブ『モーゴの人々』も、そんな彼らのポリシーが良い感じに匂ってくるコントで溢れていた。揉め事が起こればサッと雁首揃えて駆けつけて、スッと頭を下げてコトを収めようとする「雁首クラブ」。石井さんを尊敬するあまり、宗教的になっていく人たちを描いた「石井さんファンクラブ」。部下とのコミュニケーションを図るために、悪口を言い合うことを認証する「悪口を自由に言って良い会議」。勝手に家に住み着いた男とのやりとりを描いた「タモツ」など……ナンセンスとペーソスが交差する世界は、相変わらずだった。
 ただ、最後のコント。これがどうにもこうにも……なんだか不思議なコントだった。簡単に説明すると、きたろうが目の前にある門をくぐろうかくぐるまいか一生懸命に悩んでいる。そこへ、大竹扮する“喋るカラス”や、中村演じる壺に入った怪人“アンジェラツボオカ”等が現れ、きたろうに様々な言葉を残していく……というコントだ。
 過去、様々なナンセンスを演じてきたシティボーイズだけれど、このコントの様な“暗示”を思わせるナンセンスは過去に類を見なかったように記憶している。ただ、この系統のコントは見覚えがある。本公演の演出を担当している細川徹のコントユニット、“男子はだまってなさいよ!!”のコントに似ているのだ。
 思えば、これまでのシティボーイズミックスによるライブは、そのいずれもが前任の演出家である三木聡の幻影に惑わされていたのではないだろうか。少なくとも、意識はしていた。そんな細川氏が、遂にシティボーイズに対し、自らの笑いをグッと押し付けてきた……のかもしれない。いや、分からないけどね。でも、そんな気がした。つまり、このコントは、これからのシティボーイズミックスの大異変を示唆するものだったのかもしれない……って、それは大袈裟か。でも、それだけのことを書きたくなる妙なインパクトが、このコントにはあったなあ。というか、かもしれないって書きすぎだ。むー。
 それにしても、“モーゴ”ってどういう意味なんだろう。妄語?

・出演
シティボーイズ大竹まこと・きたろう・斉木しげる)、中村有志、大森博史、ムロツヨシ
・本編(約117分)※コントのタイトルは著者による
「私の辞書」「マイケル・ジャクソンを待ちながら」「雁首クラブ」「石井さんファンクラブ」「悪口を自由に言って良い会議」「タモツ」「カラ元気」「the essence of mode」「門」

 ちなみに今回、コントのタイトルは僕が勝手に名づけている。理由は明白、本作にはチャプターが無く、タイトルを確認することが出来ないためである。なお、過去に発売されたシティボーイズライブDVDの歴史上、チャプターが存在しないDVDは本作が初めてだ。だからなんだ、という話。