菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

『板倉俊之 一人コントライブ「ドクソウ」』

板倉俊之 一人コントライブ「ドクソウ」 [DVD]板倉俊之 一人コントライブ「ドクソウ」 [DVD]
(2009/10/07)
板倉俊之

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はねるのトびら」の熱心な視聴者ではなかった僕にとって、インパルスというコンビは純粋にコント師でしかなかった。今でも覚えている。まだお笑い芸人のネタ番組が少なかった頃に、僕は「爆笑オンエアバトル」で初めてインパルスのネタを観たのだ。当時、彼らが披露したネタは『取り調べ』というコントだった。板倉扮する謎の犯罪者を装うキセル犯を、堤下演じる駅員が取り調べるというコントで、非常に面白いネタだった。事実、彼らはそのネタで、その回のトップ合格者になっていた。その後も、彼らは何度か「爆笑オンエアバトル」に挑戦していたけれど、すぐに別の番組でネタを披露する機会を得て、そのまま静かに番組から去ってしまった。

その別の番組こそ、21世紀初頭のお笑いブームの中心となったネタ番組エンタの神様」だった。「エンタの神様」において、インパルスは“アンジャッシュ”“陣内智則”“ドランクドラゴン”“長井秀和”らとともに番組の中心的な存在となり、その後、数年に渡って、コントを披露し続けることになる。また、まだインパルスの名前が一般的ではなかった頃から出演していたレギュラー番組「はねるのトびら」がゴールデンタイムへと進出したことで、彼らは他の若手芸人たちよりも頭一つ抜きん出た存在へと変貌を遂げたのである。

しかし、お笑いブームが単なる「ネタブーム」から「ショートネタブーム」へと移行し始めた途端、彼らの存在感は静かに失われていく。コント師としては間違いなく頭一つ抜きん出た存在だった彼らも、多くの若手芸人たちがそうであったように、通常のトークバラエティ番組では大きな結果を残すことが出来なかったのだ。その結果、他の「はねるのトびら」レギュラー陣が、他のバラエティ番組にも少なからず出演しているのに対し、インパルスのレギュラー番組は未だに少ないというのが現状だ。

そんな状況を打破するためなのか、2009年5月にインパルスのボケ担当である板倉俊之が、一人コントライブ『ドクソウ』を開催した。コント師としての幅を広げるためなのか、それともただ気まぐれに開催しただけなのか、その真意は明確ではない。ただ、コンビ結成十年目を迎えた2008年より、ピン芸人の日本一を決定する大会「R-1ぐらんぷり」に出場し始めたことを考えると、なにかしらかの心境の変化が彼の中に生じた可能性は、否定出来ないだろう。肯定も出来ないが。

インパルスのコントといえば、ブラックさと不条理さが混在した板倉のボケと、混じりっ気無しのストレートな堤下のツッコミが、一つのシチュエーションの中で少しずつフルスロットルし始める笑いが印象的だ。どちらかが欠けても成立しない、お互いの持ち味を存分に活かしたコントは、当時は勿論のこと、今もまだ健在である(先日の『キングオブコント2009』での熱演は、まだ記憶に新しい)。ところが、それが一人コントとなると、話は難しくなる。板倉のボケは確かに面白いのだが、そこには少なからず皮肉っぽいシニカルさがあるため、やや一般ウケし辛いところがあり、そのシニカルな笑いを、一般ウケするものへと昇華させているのが、堤下の剛腕なツッコミなのである。果たして、板倉が一人で舞台に立ったとして、そのシニカルな笑いは明確に客へと伝わるのだろうか。

結論から言うと、板倉のシニカルな笑いは確かに観客へと伝わっていた。考えてもみれば、コンビで活動している芸人が、初めて一人ライブを行うのである。コンビだと相方が補正してくれていた部分を補う構成・演出を施すのは、至極当たり前のことだったと言えるだろう。ただ、インパルスとして生み出している笑いと同等の笑いを、板倉は一人でも生み出すことが出来ていたかというと、それは些か疑問が残る。

勿論、それらのコントはいずれも面白かった。モノボケの要素を存分に詰め込んだ『ボディガード』、最期の突撃を前に生きている間の恥を精算しようとする『隊長の死に様』、性的な感情が芽生えるたびに大きく羽を広げるクジャク先生の『三者面談』など、いずれも板倉ならではの発想で生み出されたコントで、ちゃんと面白かった。ただ、そこに堤下が存在しない理由がない。はっきり言ってしまうと、コンビで披露しても成立するようなコントが多かったのである。

その傾向が顕著に見られるネタがある。『披露宴』だ。このネタは、板倉演じるホームレスをしている男が、かつての友人だった男の結婚披露宴で、自らの不遇を客に訴えながら、隣にあるウェディングケーキを盗み食いする……というコントだ。いかにも板倉らしいブラックさ溢れるシチュエーションのコントだが、このコントに堤下がいない理由は、果たしてあるのだろうか。例えば、ホームレスの友人である新郎の役だとか、その披露宴会場の支配人だとか、使用人だとか、その辺りに堤下を置いても、このコントは十分に成立するのだ。これでは、一人コントライブの意味がない。

ただ、終盤で披露したコント『旅立ちの日』は、違った。このコント、板倉演じるプロのミュージシャンを目指して旅立とうとする若者と、その若者を見送りに来た友人たちの姿を描いたコントなのだが、これが実に面白かった。先に言ってしまうと、このコントの肝となっているのは、「カッコつけて旅立とうとしているのに、色々な事故のせいでなかなか電車が発車してくれない」という設定にある。この設定自体は非常にオーソドックスなものなのだが、板倉はこのオーソドックスな設定を見事にモノにし、自身のブラックさと不条理さが混在する笑いの世界へと昇華している。やや褒めすぎな気もするが、このコントだけでも一見の価値はあるのではないかと思う。

テレビタレントとしてのインパルスはどうも順風満帆とは言えないが、芸人としてのインパルスは決して踏み止まることはない。今回の一人コントライブは、そんな板倉の意思表明であったような気がする。いや、ひょっとしたら、これがコンビ解散の前触れだったりするのかもしれないけれど。実のところ、ここ最近の板倉は一人での活動が増えているようなので、気になってはいるのだ。コンビ活動とソロ活動、出来れば平行する形で続けていってもらいたいところだけれど……。


・本編(117分)

『オープニングコント』「ドクソウとは…」『ボディーガード』「クロスワード」『ホームルーム』「誘拐1」『隊長の死に様』「誘拐2」『テスト』「誘拐3」『披露宴』「トランプマジック」『三者面談』「コント「三者面談」ネタ合わせドキュメンタリー」『旅立ちの日』「1人でもできる『ドッキリ』」『スナイパー』

・特典映像(18分)

「ジャケット撮影風景」「ライブ楽屋風景1」「ライブ楽屋風景2」「1人でもできる『ドッキリ』完全版」