『イッセー尾形 寄席山藤亭』上
- 出版社/メーカー: イッセー尾形・ら株式会社
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: DVD
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- DVD解説
- 『英語教師』
- 何かを真似るという芸は、日本において古来より存在する笑いの手法である。かつては声帯模写や声色芸といったスタイルが、いわゆる真似芸の王道であったが、現在では芸能人の芸や所作を自己流にアレンジするモノマネ芸が有名である。この『英語教師』は、そのモノマネ芸に似た作品だ。「授業中に生徒が出て行く」「授業とは関係無い話が出てくる」など、実際にそうであるかのような英語教師の授業風景を地盤とし、それらに対する教師の反応を強調して演じている。結果、それが事実よりもリアルな演出となっている。これは、まさにモノマネ芸のスタイルそのものだ。最後の授業終了のくだりは、あまりのノスタルジーさに涙を流す人がいるかもしれない……僕とか。
- 『医者の新築』
- パニック映画、と呼ばれる作品がある。物語の登場人物たちが、得体の知れない脅威から逃げ惑いつつも戦う映画作品のことである。その脅威は主人公らの生命を脅かすものであり、少しでも油断をすると、命を落としかねないものだ。しかし、その脅威が生命を脅かすものではなかったとしたら、どうだろう。例えば、舞台が新しい家の建築現場という生活感のある場所だとしたら。先の脅威に値するものが、設計図通りに家を建てない大工や、自分の言うことを聞かない妻や、役に立たない部下だとしたら。それらと必死になって戦う主人公は、哀しいほどにコミカルになってしまうのである。『医者の新築』は、まさにパニック映画を日常の風景に置き換えた作品である。
- この『医者の新築』、よく見ると、実はとても設定が巧みな作品だということに気付かされる。まず、大工に対する医者の態度が上手い。医者は大工に家を建ててもらいたいという立場から、低姿勢に接している。下手に機嫌を悪くさせて、拗ねられたら困るからだ。そこには、大工という肉体労働の人に対し、医者という頭脳労働の人間が抱いている一種の畏怖のようなものも働いているのかもしれない。この医者という設定も興味深い。これがもし、同じく頭脳労働である大学教授だったり、学校の教師だったりしたら、この作品は成立しない。人の生命が関わる、現場を離れることが困難な医者が主人公だからこそ、この作品は成立するのだ。しかし、この作品の最大のポイントは、パニックに陥った医者が最後に放つオチだ。混乱した医者が、最後の最後に言ってしまう“矛盾”。素晴らしいの一言だ。
- 『ピラミッド』
- 見知らぬ土地で一人ぼっち。しかも、車をガソリンスタンドのオジサンに預けてしまっているから、身動きが取れない。会社に電話をかけるほどの余裕はあるが、意思疎通は難しい。これほど不安な状況も、滅多に無い。更に、現場にはアグネスラムのポスターや古い公衆電話があり、まるで時代が止まったかのよう。そのうち、主人公はそれらの理由によって頭の中が混乱してしまい、最終的に壊れてしまう。先の『医者の新築』がコミカルなパニック映画なら、この『ピラミッド』はサイコホラー映画だ。そのシリアスさを客も感じ取っているのか、最後に観客が吐き出している笑いは、物凄い苦笑だ。人間を描くことの多いイッセーの作品において、徹底的にカオスな印象を与える作品である。