菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

プレイバック『パパ・センプリチータ』

芸人が年を取ると、その芸がマンネリ化してしまうのが常であるが、シティボーイズは常に斬新な笑いを作り続けている。彼らの存在を知った今では、それが当然のことのようになってしまっているが、考えてみれば、それは凄いことなのだ。いや、本当に。
このブログを読んでいる人にとっては常識かもしれないが、念のために書いておこう。シティボーイズとは、劇団「表現劇場」に所属していた三人の俳優、大竹まこと、きたろう、斉木しげるによって1979年に結成された、コント集団である。かつては三人のみの公演も行っていたが、1999年の公演『夏への無意識』を最後に、三人だけの公演を行っていない。それ以外の公演では客演を招いており、この公演でも中村有志犬山犬子を客演に招いている。ちなみに中村有志シティボーイズのライブの常連で、作・演出が坪田塁・細川徹になってからの全ての公演に参加している。
本公演『パパ・センプリチータ』は、これまでのシティボーイズの公演に比べて、非常にアンダーグラウンド色の強いものになっていたように思う。……しかし、自分で書いておいてアレだが、“アンダーグラウンド色”というのは、一体なんなのだろうか。“アンダーグラウンド”……例えるならば、マンホールの中。人気の無い高架下。崩れそうな雑居ビルの一角。……この公演から感じるのは、そういった何処か陰湿で日の目を見られないような、そういう印象のコントが多かった。
例えば、三本目に収録されているコント(このライブでは、タイトルが提示されていない)を見てみる。電車のドアに首を挟まれた男(中村)。そこへやってくる、一人の駅員(大竹)。早速、男は駅員に助けを求める。しかし、その駅員と思われた男は、駅員ではなく、駅員を装っている男だった。その男は、実はちょっと頭の調子が悪い男で、子供の様に駅員ごっこをしているのである。そこへ、本当の駅員(きたろう)がやってくる。だが、事態は進展しない。駅員は挟まれた男を放置し、駅員ごっこをしている男の話を続けるばかりだ。
これまでのシティボーイズのコントは、ナンセンスを指標としたものが殆どだった。マーチから逸れてしまった三人の鼓笛隊、ひたすら電柱にしがみつく男、牛と阿波踊りの群衆を探しているカウボーイと阿波ダンサー……そういった世界が、それまでのシティボーイズのスタイルであり、パターンだった。彼らの「後に何も残さない、残らない」というライブテーマからも、そのことは伺える。しかし、この公演は、先に紹介した演目で分かるように、彼らがこれまでに築いてきたナンセンス地盤の上に、社会があまり好まないアンダーグラウンド的な世界を築き上げているのだ。これを新しい出汁と呼ぶか、省くべき灰汁と呼ぶか、それは観客次第である。
……というか、実はこれまでの公演にも社会ネタは幾つかある。ただ、この公演は露骨なまでに社会ネタを取り入れており、これまでのナンセンスとは明らかに違う雰囲気が漂っている。例え、平和的な内容のコントでも、どこかで暴力事件が発生するのではないかと勘ぐらせるような、妙に張り詰めた空気が感じられる。全体的なバランスは良いが、シティボーイズの入門としては不釣合い。『パパ・センプリチータ』は、そういう類の公演だった。
個人的には、カラシが飛んでシャツが汚れたというクレーマーのコントと、海外ボランティアの集団が犬山犬子みたいな声になってしまう性病にかかってしまうコント、あといい年こいた大人がお泊り会をするだけのコントが印象に残っている。どうも僕は、シティボーイズのステレオタイプなコントが好きらしい。

・内容(タイトルは僕が勝手に/収録時間:110分)
『オープニング』『クレーマー』『挟まれた男』『ハードボイルド!』『路上のミュージシャン』『屋台芸術』『ボランティア四苦八苦』『エスプレッソ王子』『宝塚』『マグネットマン』『お泊り会』『エンディング』