菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

『ハライチ』

ハライチ「ハライチ」 [DVD]ハライチ「ハライチ」 [DVD]
(2010/02/24)
ハライチ(岩井 勇気・澤部 佑)

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M-1グランプリは“漫才”を救った大会だという意見がある。M-1グランプリが誕生したことによって、それまで単に古臭い演芸という認識でしか扱われることのなかった漫才は、一つのエンターテイメントとして再評価されるようになった、というものだ。確かに、M-1の大会実行委員長でもある島田紳助のインタビューを顧みると、彼は「漫才に恩返しがしたい」という旨の発言をしている。これは即ち、漫才というジャンルが改めて受け入れられるように努力したい、という意味であるといえるだろう。そして、彼の思惑通り、当時に比べて漫才が受け入れられやすい世の中になったように思う。まだまだ漫才をテレビで観られる機会は少ないものの、それでも以前に比べて、漫才師がテレビバラエティに出演する機会は圧倒的に増えているのは事実だ。

但し、M-1グランプリが漫才にもたらしたものは、決して功のみに限らない。光のあるところに必ず影が生まれるように、M-1グランプリもまた、漫才に功と罪をもたらしてきたのである。M-1グランプリが漫才にもたらした罪、それは「M-1グランプリで評価されない漫才は漫才に非ず」という認識を、業界内に広めたことである。M-1グランプリは、一般的には、単純に「漫才の頂点を決定する大会」というイメージが浸透している。が、実は、M-1グランプリにはもう一つ、大きなテーマが存在していることを、皆さんは御存知だろうか。そのテーマとは、「準決勝に進めない漫才師は辞めた方がいい」というものである。これはM-1が提唱していることではない。大会実行委員長である島田紳助が、M-1を始めた理由として公言したものだ。この言葉が意味していることは、要するに「才能の無い芸人に対して引導を渡すためにM-1は存在している」ということである。この発言は、一見すると非常に正当な意見であるように感じられる。が、これはあくまでも、M-1グランプリにおける予選の審査が真っ当であるということ、或いは、M-1グランプリの審査が絶対であるということが前提でなければ成立しない発言だ。つまり、M-1グランプリは「漫才の頂点を決定する」と同時に、「才能の無い漫才師を篩にかける」という機能を担っていたということになる。

しかし、これは考えてみると、とてもおかしいことなのではないだろうか。何故なら、M-1グランプリは全国規模の巨大なお笑い賞レースであることには違いないが、賞レースである以上、そこには確固たる審査傾向が存在する筈だからである。審査傾向があるということは、「M-1で評価されやすい漫才」と「M-1で評価されにくい漫才」に二分されるということだ。即ち、それは「M-1では評価されないが、M-1以外の場所であれば存分に評価される漫才」が生じる可能性を示唆している。漫才を救うために生まれた筈のM-1グランプリが、新しい漫才の可能性を狭めてしまっているかもしれないのだ。

そんな現状に対し、M-1グランプリ自身が一つの危機感を示した大会が、2008年大会だった。敗者復活戦を勝ち上がってきたサンドウィッチマンの優勝で幕を閉じた2007年大会の翌年に行われたこの大会は、これまでM-1決勝の常連と言われてきた漫才師たちを排除し、ナイツ、U字工事モンスターエンジンなど、新しいスタイルの漫才師たちを決勝戦に進出させるという、新たなる時代を感じさせられる大会だった。これを機に、M-1グランプリは大きく変化を遂げる筈だった……が、あまりにもオーソドックスに堅すぎるメンバーだったためなのか、敗者復活戦を勝ち上がってきた変化球型漫才師のオードリーが大爆発してしまい、二年連続で敗者復活戦の覇者が最終決戦に進出してしまうという、予選の審査員としては悲劇ともいえる結果を生んでしまう。

そういった経緯を経たためか、その更に翌年に行われたM-1グランプリ2009は、決勝に進出を果たした漫才師八組のうち、六組が過去に決勝進出を経験したことがある漫才師という、徹底的に守りに入った大会になってしまった。新しい風を吹くどころか、新しい風を閉ざした大会になってしまったのである。そんな中、僅かながらに吹いた新しい風が、初の決勝進出となったパンクブーブーとハライチである。特に、ハライチの存在感は大きかった。漫才とは何か、漫才とはどうあるべきか、そんな堅苦しい理論が飛び交うM-1グランプリにおいて、彼らは純粋に「漫才とは面白いものだ」ということを提唱してみせていた。

ハライチの漫才は、いたってシンプルだ。ボケ役である岩井勇気が提示する話題を元に生み出される様々なボケワードに対して、ツッコミ役である澤部佑が漫才を終える瞬間までひたすらにノリ続ける(ボケをツッコまずに付き合い続ける)。これだけである。ただ、澤部のノリには、多分にアドリブが組み込まれているために、彼らの漫才は、漫才において重要なポイントの一つである「即興感」に満ちている。その場で生み出される喋り、その場で生み出される動き、その場で生み出されるやりとり……そんな「その場」な空気こそ、ハライチの漫才の楽しさであり、面白さだ。ちなみに、この彼らのスタイルは“ノリボケ漫才”というらしい。……そのままだ。

今作『ハライチ』には、そんなハライチの漫才が七本収録されている。幾つかのネタはテレビでも披露されたものだが、一つのシチュエーションを与えたまま澤部を放置し続ける『イイコト。』や、岩井が思いついたという発明品を次々に発表していく読み物漫才『発明。』、岩井のボケと澤部のノリが30分も続く『お風呂。』など、テレビではなかなか見られないスタイルの漫才も披露されている。特典映像には、ハライチの二人が故郷である原市を巡る「ハライチぃ散歩」を収録。漫才と同じ空気感で各地を巡る二人のやりとりは、まったりとしていてなかなか楽しい。澤部のキャラクターは、よくさまぁ~ずの三村に似ているといわれているが、そういえばこの特典映像には、ちょっとモヤモヤさまぁ~ずの様な雰囲気もあった。ボケをひとまず受け入れるというスタイルも、すぐにはツッコミに入らない三村のスタイルと類似している。所属している事務所は違うが、強い影響を受けているのかもしれない。

このDVDにおいて最も注目すべき点は、30分間ノリボケ漫才『お風呂。』に副音声解説を収録した特典映像だろう。この特典映像では、岩井のボケに対して徹底的にノリまくる澤部の姿を、澤部自身が解説している。それは言ってみれば、自らのノリを自らで解体しているということだ。その解体作業の模様は、テキスト化してブログに上げてしまいたいレベルの内容だったのだが、ここで晒すのは彼らにとってあまり良いこととは言えないので、自粛することにする。実際にDVDを購入して、見ていただきたい。それだけの価値はある。

M-1グランプリに新たなる風を吹き込んだハライチ。彼らの存在は、M-1グランプリに限らず、これからのお笑い界が新たなる時代を迎える予感を匂わせてすらいる。それを予感ではなく、実際のモノにするためにも、今年のハライチには二年連続での決勝進出を期待したい。いや、恐らくは、当人たちもそのつもりなのだろう。新たなる漫才の時代を切り開く彼らの未来に、栄光あれ。


・本編(65分)

「仙台。」「ペット。」「イイコト。」「ヒーロー戦隊。」「発明。」「お風呂。」「???」

・特典映像(35分)※幕間映像として収録

「ハライチぃ散歩」

・音声特典:解説「お風呂。」