菅家アーカイブ

過去のブログで書いてきたお笑いDVDレビューをまとめました。

『磁石単独ライブ「磁石漫才フェスティバル 特別追加公演」』(2014年12月17日)

年間最強漫才師を決定する『THE MANZAI』において二度の決勝進出(当時)を果たしている漫才師、磁石が2014年7月に開催した漫才ライブの模様を収録。磁石の単独ライブは年に一度のペースで開催されているが、漫才のみのライブに限定すると、2010年7月に行われた『磁石漫才ライブ ワールドツアー日本最終公演』以来となる。その事実に、『THE MANZAI 2013』で決勝戦の舞台に上がれなかった悔しさを感じてしまうのは、きっと私だけではないだろう。前回では90分間ノンストップ漫才を繰り広げていた彼らだが、今回は100分近い公演時間の中で長めの漫才を二本に分けて演じている。恐らく、観客の疲労を考えた上での配慮だろう。どんなに面白いネタであっても、観客が疲れてしまったら笑いは起こらない。

本編を再生してみると、和やかな雰囲気に包まれた二人の姿が。ちょっと意外だ。磁石といえば、永沢のボケと佐々木のツッコミが見事に絡み合う正確無比な漫才を演じているイメージが強かったからだ。事実、前回の漫才ライブでは、90分間という長尺漫才を演じていたにも関わらず、彼らはまったく呼吸を乱すことなく、最初から最後までいつもの磁石のトーンを貫いていた。それはまるで、漫才を演じるようにセッティングされたロボットのように。だが、今回は違う。まるで雑談をしているかのように始まり、そのだらりとした空気のまま、漫才が進行していく。漫才と漫才を繋ぐやりとりも粗い。だが、その粗さが、逆にバカバカしくて面白い。ネタバレになってしまうが、佐々木が永沢に「何かやりたがってくださいよ」と提案するくだりは、あまりの雑なフリに笑ってしまった。

恐らく、今回のライブにおいて、磁石はそれまでの漫才では見せられなかった余白を作り出そうとしたのではないだろうか。当時、彼らが出場していた『THE MANZAI』という大会は、漫才師自身のキャラクターが如何にネタへと反映されていたかが着目されていたように思う。だからこそ、ハマカーンは神田の女性的な側面を見出した漫才で、ウーマンラッシュアワーは村本の下衆で卑劣な側面を表出した漫才で、それぞれ優勝を果たしたのだ。そこで磁石も、あえて漫才に余白部分を設けることで、そこに彼ら自身の人間的な部分を見出そうと試みたのではないか。……というのは、ひょっとしたら考え過ぎなのかもしれない。

ちなみに、漫才の空気が和やかでも、肝心の内容は相変わらず引き締まっていたので安心していただきたい。意識や言葉の裏をかいた永沢のボケと、そのボケにベストな回答でズバッと切り返す佐々木のツッコミが繰り広げられている。とりわけ永沢の言葉を駆使したナンセンスボケはいつも以上に冴えていて、「クリ松さん」「お予っ算」「急ガッパー回れ」など、まったく意味のないワードチョイスでこちらのツボをグイグイと押しまくっている。構成にも練り込みが見られ、後半でのさりげない大団円的演出には、ちょっと魅入られてしまった。基本、漫才ライブでこういう演出を取ることに、私はどちらかというと否定的なのだが……それだけ内容が充実していたということだろう。

このライブから数か月後の2014年12月14日、磁石の二人は『THE MANZAI 2014』決勝のステージに立っていた。予選サーキットを4位で通過、今年こそは最終決戦へと駒を進めることが出来るのではないかと思われたが、またしても予選敗退という苦汁を舐めさせられてしまった。この日、彼らが演じた漫才は『ラジオ』。本作でも演じられているネタだったが……。現在、『THE MANZAI 2015』の開催情報は、8月半ばとなった今でも告知されていない。噂では『M-1グランプリ2015』開催に伴い、賞レースとしての形式を崩し、これまでとはまったく異なった演芸番組になるという。そのステージに、磁石の二人は立っているのだろうか。実力派若手漫才師と言われ続けて早15年、彼らがゴールデンタイムの光を浴びせられるようになるのは、果たしていつの日か……。

なお、特典映像には、磁石の二人がパンツ一枚だけを着用した状態になってとあるミッションに挑戦する『パンイチグランプリ』が収録されている。結成15年目を迎えた漫才師がやる企画じゃない! ……が、そのらしからぬ姿には、笑わせられた。こういうことをバラエティ番組の企画でやらされている二人が、いつか見たいなあ。


■本編【102分】

漫才+幕間映像「ハイテンション大食い」+漫才

■特典映像【16分】

「パンイチグランプリ」

『第5回 大喜利鴨川杯』『第6回 大喜利鴨川杯』

誰でも参加できる西日本最大規模の大喜利トーナメント“大喜利鴨川杯”の第5回大会(2013年10月25日)・第6回大会(2014年5月18日)の本戦の模様をそれぞれ収録。本作は公式サイトで購入の申し込みが出来るのだが、今回は同大会に出場していたゴハさんから有難く頂戴した。

大喜利といえば、落語家たちがそれぞれのキャラクターを駆使しながら座布団の数を競い合う『笑点』、松本人志が大会チェアマンを務めている『IPPONグランプリ』、バッファロー吾郎がプロデュースする“ガチ”の大喜利トーナメント『ダイナマイト関西』などのように、芸人が本業(ネタ)とは別の余芸としてやっているイメージが強い。とはいえ、その回答の一つ一つにはセンスと発想、そして表現力が集約されている。そんな大喜利を一般の素人がやるなんて、本当に成立するのだろうか……と、鑑賞前の私は疑心暗鬼になっていた。

しかし、いざ再生してみると、全ては杞憂に終わった。鋭い発想、確かなセンス、素人なのにきっちり出来上がっているキャラクター、そしてなによりテンポがえげつない。ヘビーな回答が矢継ぎ早に繰り出されている。思うに、芸人はその発想とセンスをネタやトークにも浪費しているのに対し、一般の素人である彼らはここにしかぶつける場所がないため、これほどのエネルギッシュな回答を量産することが出来るのだろう(会場が一般客の少ない閉鎖的な空間であることも大きいのだろうが……)。個人的には、“スズケン”さんと“番茶が飲みたい”さんの存在感に打ちのめされた。スズケンさんは誘い笑いエグいな……。

と、ここまで書いてみて気が付いたが、大喜利のDVDはレビューが難しい。漫才やコントの場合、その設定や構成を説明することで(いわば本質の外側を語ることで)、その本質的な魅力を感じさせることが出来るが、大喜利の場合は肝心要の回答そのものがずばり魅力なので、その面白さを説明するためには、どうしてもネタバレをしなくてはならないからだ。だから、ここは私の眼を信用して頂いて、もとい、騙されたと思って、本作を入手してもらいたい。一応、YouTubeで予選の模様を確認できるので、それを見て判断してもらっても構わない。

アマチュアリズムの結晶、その粗く鋭く下らない世界を見よ。


■第5回大会【121分】

■第6回大会【131分】

『テンダラー BEST MANZAI HITS!? ~THIS IS TEN DOLLAR~』(2015年2月4日)

フジテレビ系列の特番『ENGEIグランドスラム』が人気だ。バラエティの第一線で活躍している漫才師・コント師ピン芸人を集めて、自身のネタを存分に演じてもらうというベーシックな演芸番組にも関わらず、高視聴率を記録し、既に今年三度目の放送が決定している。これはなかなか興味深い現象ではないだろうか。ビートたけしが演芸場の支配人となって個人的に注目している芸人たちを集めた『北野演芸館』や、選挙管理委員長である有吉弘行が独断でお笑い大統領を決定する『速報!有吉のお笑い大統領選挙』など、ゼロ年代のお笑いブームが過ぎ去ってしまった2010年以降も、芸人たちがネタを披露する番組は少なからず残っていた。それなのに、どうして『ENGEIグランドスラム』だけが、それらの番組よりも突出して注目を集めているのか。

その大きな要因となっているのは、番組の顔の不在にあるのではないだろうか。先に挙げた番組は、いずれもカリスマ的な存在感を放っている芸人が中心に鎮座している。恐らくは、ただ芸人たちがネタを演じるだけでは成立しないと考えての配慮なのだろうが、それが結果として、観客(視聴者)と演者の距離を引き離してしまっている。彼らがネタを見せている相手が、テレビを見ている一般人ではなく、番組の顔であるビートたけしであり有吉弘行であるように見えるからだ。無論、そういった番組を、全て否定するつもりではない。とはいえ、ブラック企業パワハラなど、上からの重圧が叫ばれている昨今の風潮を思えば、その緊張感を僅かでもテレビバラエティの中で目にするのはウンザリするだろうことは容易に想像できる。

だが、『ENGEIグランドスラム』には、番組の顔が存在しない。司会進行役を務めているナインティナインも、時に数々のバラエティ番組を経て培ってきたコメント力を見せることはあるものの、余計なところまで踏み込まない。その適度な距離感が、演者も司会もあくまで同じ目線でステージに立っている出演者に過ぎないことを感じさせてくれる。そこで演じられているネタが、ちゃんと視聴者に向けられているものだと分からせてくれる。だから、心地良い。『ENGEIグランドスラム』の成功は、いわばテレビが芸人のネタの力を信用したからこそ成し得た信頼の証といえるのかもしれない。

ところで、『ENGEIグランドスラム』が成功した理由が、もう一つ思い当たる。『M-1グランプリ』だ。結成10年以下の漫才師だけが出場できる『M-1グランプリ』は、いわば若手漫才師の登龍門だった。優勝賞金である1000万円も魅力的だったが、なにより現役で活躍するベテラン芸人にネタを見てもらえ、評価されることが非常に大きかった。数多くの芸人が大会に挑み、その大半が散った。中には、『M-1グランプリ』で結果が残せなかったからという理由で、コンビを解散してしまう漫才師もいた。ゼロ年代を生きていた漫才師にとって、『M-1グランプリ』はまるで聖典の様に絶対的な存在だった。

しかし、彼らの思いとは裏腹に、『M-1グランプリ』の評価は回を増すごとに下がっていた。原因は、予選審査の方針である。初期の『M-1グランプリ』において、決勝戦に駒を進める漫才師は、中川家ますだおかだフットボールアワーハリガネロックアメリカザリガニ……などなど、いわゆる実力派と呼ばれていた芸人たちだった。しかし、大会のルール上、彼らが優勝の是非とは関係なく、強制的に出場できない状態になっていくにつれて、大会は個性的な漫才師を取りそろえる見本市と化していった。先鋭的な漫才師を評価していたといえば聞こえはいいが……。視聴者は、純粋に、ただ純粋に、面白い漫才が見たかったのである。そんな視聴者の意思が、M-1の後継である『THE MANZAI』を経て、『ENGEIグランドスラム』でカタチになったとはいえないだろうか。

テンダラーは、いわばその中継を担った漫才師だ。

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8.6秒バズーカー『ラッスンゴレライブ』(2015年6月17日)

初めてラーメンズの『現代片桐概論』を観たときは、それの何が面白いのかがさっぱり分からなかった。『現代片桐概論』とは、白衣を身につけた小林賢太郎演じる講師が、片桐仁演じる“教材用片桐仁”を隣に立たせた状態で「カタギリ」という生物について講義するコントである。無論、カタギリなどという生物は実在しないので、そこで語られている内容は全て嘘、虚構だ。だが、その嘘が、他人に追及されることはない。なにせ、相方の片桐は“教材用片桐仁”としての役目を全うしなくてはならないために、口を開くことも出来ない。結果、嘘は嘘のまま舞台上に放り出され、そのまま垂れ流しになってしまう。

笑いについて学術的な側面から研究している井山弘幸氏によると、この『現代片桐概論』はリアリティの破壊を描いているのだそうだ。小林によって展開されるリアルな講義の中に、実在しないことが明白なカタギリが違和感無く存在していることによって、可笑しみが生み出されるのだと。また、その笑いを理解するためには、現実の大学講義を比較対象する視座を確保することが条件である、とも解説している。当時、まだ大学に入ったばかりで、講義を受けた経験の少なかった私が、このコントを理解できなかったのも致し方無かったといえるのかもしれない。この『現代片桐概論』のようなコントのことを、彼らは【非日常の日常】と表現していたように記憶している。実在しない事物をリアルに描く。だからこそ、そこに説明役のツッコミは必要無い。この独自のスタイルが、ラーメンズというコンビを孤高の存在へと押し上げていくことになるのだが……それは、また別の話である。

実際には存在しないモノの詳細をリアルに突き詰めていくことで笑いを生み出していたのが『現代片桐概論』なら、実際には存在しない言葉の詳細を突き詰めていくようでまったく突き詰めようとしないことで笑いを巻き起こしたのが『ラッスンゴレライ』といえるのかもしれない。

2014年に結成された超若手お笑いコンビ・8.6秒バズーカーの『ラッスンゴレライ』は、はまやねんが何の前触れもなく口にした「ラッスンゴレライ」という謎の言葉の意味を、相方の田中シングルに「説明してね」と全て押し付けてしまうやりとりで幕を開ける。何も聞かされていない田中は「ちょと待てちょと待てお兄さん!」とツッコミを入れるが、はまやねんは聞く耳を持たず、「楽しい南国、ラッスンゴレライ」「彼女と車でラッスンゴレライ」などの統一感の無い使用例を出して、翻弄するだけだ。結局、「ラッスンゴレライ」がどういう意味なのか分からないまま、ネタは終わってしまう。

意味を持たない言葉で観客を翻弄する『ラッスンゴレライ』の形式は、かつてムーディ勝山が披露していた何か分からないものが右から左へと流れていく様子を熱唱する歌ネタ『右から来たものを左へ受け流すの歌』に似ているように思える。どちらのネタも、しつこいほどに周辺の情報は語られるのだが、その詳細は明かされないからだ。ただ、ムーディが右からやってくるものを【何か】と称していたのに対し、8.6秒バズーカーは【ラッスンゴレライ】という具体的なワードを取り入れていた分だけ、僅かに深みが生じている。その点が、彼らが単なるムーディの後追いになっていない理由なのだろう。ちなみに、先程も登場した井山弘幸氏は、ムーディの歌を、気になることを言わずに宙吊り状態する「サスペンス・シュール」と評している。不可解な状態が解決されないからこそ、こういうネタは面白い。最近では、あまりにも消費され過ぎて、単なる楽曲の一つと化してしまっている感もあるが……。

『ラッスンゴレライブ』は、そんな8.6秒バズーカーが2015年3月23日に“笑いの殿堂”なんばグランド花月で開催した単独ライブと、同年4月4日にルミネtheよしもとで開催した単独ライブの模様が収められている。

前作『ラッスンゴレライ』はミュージシャンのプロモーションビデオを意識した内容になっていたが、本作もまた、ミュージシャンのライブパフォーマンスを思わせる作りになっている。彼らの代表作『ラッスンゴレライ』には過剰なBGMが付け加えられているし、カッコイイサビにお似合いな歌詞を挟み込もうとする『走りダッシュ』では観客の手拍子が止まらないし、二人が警察官に扮して犯人を追い詰める様子をポップに歌う『ポリスオフィサー』の前フリVTRはヒップホップユニットのプロモーションビデオの様。いずれも、カッコつけていることをギャグにしたがっているのはなんとなく伝わってくるのだが、場数の少なさが故か、それがまったくサマになっていない。正直、どれもこれも、学生のバカ騒ぎにしか見えない。まあ、考えてもみれば、仕方がないことではある。デビューから一年も経っていない経験の浅いコンビに単独ライブを任せる方が、どうかしているのだ。

その意味では、本作で見るべきは『初めての一発ギャグ』『初めてのモノマネ』『初めての出落ち』などの“初めてシリーズ”といえるのかもしれない。経験値の少なさを逆手に取っているこれらのパフォーマンスは、さして面白くなかったとしても(そして実際、さほど面白くはない)、そこには彼らの歴史の第一歩という付加価値が生じている。今後、8.6秒バズーカーというコンビが、どの様な展開を迎えることになるのか、それは誰にも分からない。時代を代表する若手最右翼コンビになるかもしれないし、一発屋として静かに場末へと消えていくかもしれない。結成三十周年を迎えても現役バリバリで活動しているベテランコンビになっているかもしれないし、来年には解散しているかもしれない。彼らがそんなことになったとき、この“初めてシリーズ”はその結末へと向かうスタート地点として、確固として存在し続けてくれるわけだ。

先がまったく見えない彼らの現時点での輝きを収めている本作は、いわば8.6秒バズーカーというコンビの青春の1ページだ。藤崎マーケットがどんなにリズムネタの危険性を問おうとも、斎藤司(トレンディエンジェル)の頭皮がどんなにペッペッペー♪したとしても、ひょんなことから彼らがロシアのスパイだという疑いをかけられたとしても、それも全ては彼らの思い出となっていく。そんなことを考えながら、本編のラストを飾る馬と魚による『走りダッシュ ~アコースティックVer.~』を観ていると、不覚にも涙が出そうになってしまった。……ていうか、よしもとの芸人で一番8.6秒バズーカーにいっちょ噛みしているのって、もしかしてオリエンタルラジオでも藤崎マーケットでもなくて……。

嘘もガセもデマも乗り越えて、8.6秒バズーカーの青春はまだ始まったばかりだ。

最後に余談だけど、全編に渡って二人の発言にテロップが入り続ける演出って必要だったのだろうか。歌のパフォーマンス部分だけならまだしも、普通のフリートークにも字幕を付けるのは、ちょっと過剰だったように感じた。彼らの実力に対して不安を抱いていたからなのか、彼らを求めているネットユーザー層を意識してのことなのかは分からないが、せめて字幕の有無が選択できるようにしてくれても良かったのでは。


■本編【105分】

「ラッスンゴレライ」「走りダッシュ」「ポリスオフィサー」「ストリートミュージシャン」「お弁当」「初めての一発ギャグ」「初めてのモノマネ」「初めての謎かけ」「初めてのモノボケ」「初めての写真で一言」「初めてのけん玉」「初めての万歩計バトル」「初めてのマジック」「初めてのビリビリペン」「初めての出落ち」「初めての熱々おでん」「初めての寝起きバズーカ」「初めての漫才(ルミネtheよしもとVer.)」「初めてのラララライ体操」「ラッスンゴレライ ~アコースティックVer.」「ラッスンゴレライ ~クラブRemix」「走りダッシュ ~アコースティックVer.~SONG by 馬と魚」

マツモトクラブ『ヒゲメガネ thank you!』(2015年5月27日)

たった一人の芸人が座布団の上に座って複数の人物を演じてみせる“落語”に対し、“一人コント”の多くは一つのネタに対して一人の登場人物だけを演じていることが多い。といっても、他に登場人物が存在しないわけではない。芸人は、自身が演じている人物に、他の人物たちと対話させることで、その存在を表現する。無論、対話といっても、返事などはない。だが、その返事の内容から想定されるリアクションを取ることによって、目に見えない人物が、耳に聞こえない返事をしたことが、観客には伝えられる。一見、それは大変に難しいことのように思える。事実、容易ではない。確かな演技力が無ければ成立しない芸である。だが、あえて観客の無限大の想像力に判断を委ねることで、実際に舞台上で複数の人間がやりとりを重ねているよりも何倍も面白いコントとなる……かもしれない。ならないかもしれない。そこは当人の実力次第だろう。

そんな一人コントの常識を打ち破った(というほど大袈裟な話ではないのかもしれない)のが、陣内智則である。陣内は、一人コントの世界に音声や映像を取り入れることによって、自由度の高いボケの可視化に成功。観客の想像力に委ねることなく、その奔放な笑いを思うままに繰り広げたのである。実際の問題として、想像力を引き立てる笑いは、大きな爆発力を秘めている一方で、観客の脳に対して少なからぬ負担をかけてしまう。しかし、彼の思い描いているボケが全て音声や映像で表現されている陣内智則のコントは、何も考えずに笑うことが出来る。なにせ、見たままが面白いのだから、苦労しない。この手法は画期的であるように思えたが、その一方で、コントの設定を限定していたようにも思う。陣内のコントに登場するのは、オウムやテレビゲームのキャラクターなど、人間以外のなにかしらかの存在だった。人間を出してしまえば、その瞬間から、それは陣内智則のコントではなくなってしまうからだ。一つ一つのボケに対してツッコミを入れる陣内のコントは、かねてより「陣内と映像のコンビによるコント」と評されていた。そこに人間が加われば、どうなってしまうのか。それは、もはや「陣内と誰かのコンビによるコント」である。

で、マツモトクラブが現れる。

マツモトクラブはソニー・ミュージック・アーティスツ所属のお笑い芸人だ。当初は劇団シェイクスピア・シアターの劇団員として活動を開始、『マクベス』『十二夜』『冬物語』などの舞台に出演していたが、2006年に退団。その後、iPhone購入をきっかけに録音と芝居を組み合わせた映像作品をYouTubeで発表するようになり、現在の芸風を見出す。2011年にお笑い芸人としての活動を開始。『R-1ぐらんぷり2015』最終決戦で2位となり、注目を集めるようになる。

マツモトクラブの一人コントは、人間の声を利用したものだ。舞台上には存在しない人間の声を流し、それを受けて、マツモトクラブが何かしらかのリアクションを取ってみせる。一見、それは通常の一人コントに音声を加えているだけのように思えるが……まったくもって、その通りである。これまでは芸人の演技力でフォローされていた他者の言動を、マツモトクラブは安直にも音声を加えることで明確にしてしまっているのだ。とはいえ、それが悪いことなのかというと、必ずしもそうではない。通常の一人コントでは説明的になってしまいがちな他者の言動を、音声を使って明確にすることによって、むしろマツモトクラブの演技はより自然なモノになっている。演技が自然であるからこそ、その世界観の不可思議な側面が浮き彫りになる。演技が自然であるからこそ、ボケとツッコミが明確であるが故に漫才感の強い陣内のコントの様な印象は残らない。偶然に見出したスタイルだというが、実に面白い発見だったといえるだろう。

本作はそんなマツモトクラブのベスト盤だ。

マツモトクラブの出世作ともいえるコント『ストリートミュージシャン』の世界を中心に構成されており、舞台上で彼が演じているコントと、本作のために撮り下ろされた映像コントが交互に展開されている。挑発的で楽しい試みだ。それでいて、決して違和感の残る内容になっていないのだから、たまらない。しっかりと全体のバランスが考えられている証拠だ。バイきんぐといい、オテンキといい、ソニー・ミュージック・アーティスツの芸人は本当に素晴らしい作品を世に送り出してくれる。いつかリリースされるであろう、キャプテン渡辺やウメやや団のDVDも楽しみだ(出さないという選択肢は許さない)

収録されているコントも秀逸の出来だ。ハイテンションな地理教師の授業に対して不穏な空気を醸し出している生徒の思いとは……?『授業』、親子の朗らかなやり取りが息子のとある発言によって一気に猥雑な空気へと陥ってしまう『キャッチボール』、短時間での再来店にも関わらず逐一カードの所持を確認してくるケミカルな店員の接客が鬱陶しい『4丁目のコンビニ』など、どのネタも、マツモトクラブの音声を駆使したスタイルが存分に活かされている。中でも『記念写真』には感動した。牛久大仏をバックに記念写真を撮ってもらおうと、マツモトクラブがカメラを手渡した通りすがりの人がぶつくさこぼしている独り言がメインのコントなのだが、とにかく流れが最高。途中までは、マツモトクラブの言動に対して、この通りすがりの人がツッコミを入れるというスタイルなのだが、ちょっとした出来事をきっかけに状況が一変してしまうのである。このきっかけの仕掛けが、たまらない。実際に起こりがちな事故を上手く取り入れている。これだけでも一見の価値はある。

デビューが遅いマツモトクラブは、来年で40歳になるのだそうだ。だが、その未来は、まだまだ未知数。次回作にも期待したい。


■本編【61分】

ストリートミュージシャン」「3丁目のコンビニ」「♪「時代」」「そば処 三久」「授業」「ハブラシ戦争1」「記念写真」「少年の夢」「キャッチボール」「ハブラシ戦争2」「♪「おとこのこおんなのこ」」「プラットホーム」「あなたが私にくれるもの」「4丁目のコンビニ」「♪「旅立ち」」「ハブラシ戦争3」「エンディング ♪「かえるべき場所」」

厚切りジェイソン『WHY JAPANESE PEOPLE!?』(2015年6月24日)

外国人の視点から、日本の素晴らしさをアピールするテレビ番組が増えた。空港で日本にやってきた外国人にインタビューしたり、伝統工芸の職人を目指している外国人を追いかけたり、逆に海外で生活している日本人の艱難辛苦の日々を描いた再現ドラマを制作したりして、忘れられてしまった我が国の本来の魅力を再認識させようとしているわけだ。それ自体は悪いことではないが、日本人が「日本は素晴らしい!」と日本人に伝えようとする構図がどうもしっくりこない。かつて、日本人といえば、本音と建前を使い分けた奥ゆかしい人種だといわれていたような気がするのだが。テレビで大々的に取り上げてもらわなくてはならないほど、日本人のアイデンティティが揺らいでいるということなんだろうか。

そんな時代に現れたピン芸人、厚切りジェイソン。生まれはアメリカ合衆国、芸人であると同時にIT企業の役員を務めている。スゴイデスネ。ひょんなことからザブングル加藤と知り合い、「会社を辞めずに芸人を目指すことが出来る」と勧められてワタナベコメディスクールへと入学。2014年9月に卒業し、そのままワタナベエンターテインメント所属となる。その翌年、『R-1ぐらんぷり2015』決勝戦への進出を果たし、その名が広く知られるように。……流石、IT企業の役員を務めている男は、芸人になっても有能だ。

厚切りジェイソンのネタは、漢字をテーマにしたボード漫談だ。「漢字難しいよ!」と嘆きながらホワイトボードに漢字を書き殴り、その内容にツッコミを入れていく。例えば、数字を漢字で書く際に「一」「二」「三」と一定のパターンを見せておきながら「四」と続くことに対して「わざとだろ! この罠!」とツッコんだり、「金」と「同」を合わせて「銅」になることに対して「(金と銅が同じには)ならないから!」とツッコんだりしている。日本人が意味の代用品として取り扱っている漢字を、少し違った視点から改めて切り込んでいるわけだ。

とはいえ、正直なところ、ネタだけだとそこまで面白くはない。もし、このネタを日本人がやっていたとしたら、それほどウケなかっただろう。重要なのは、このネタを演じているのが、アメリカ合衆国からやってきて漢字を勉強中の厚切りジェイソンだという点だ。漢字を勉強中だから、ネタが浅薄でも仕方がない。日本語の意味がズレていても、アメリカ人だから仕方がない。……そこには、漢字を使いこなせる日本人の優越感みたいなものが見え隠れしている……ような気がしないでもない。ただ、率直に面白いネタもあり(「始」のくだりは何度見ても笑ってしまう)、これから更なる進化を遂げる可能性を秘めているのも事実だ。より表現力を高め、よりネタの構成を練り上げ、よりアドリブを増やし……いつかは新宿末広亭でネタをやってもらいたいものである。目指せケーシー。

本作は、そんな厚切りジェイソンのベスト盤だ。

先述したボード漫談『漢字』を中心に、外国人であることを逆手に取った漫談やコントが収録されている。『R-1ぐらんぷり2015』での活躍を受けて満を持してのリリースという印象があるが、本編鑑賞後は、ちょっと時期尚早だったのではないかと思った。普段はやっていないような漫談やコントがイマイチなのは仕方がないにしても、肝心の『漢字』もテレビなどで披露されたバージョン以外はどれも薄味で、急ごしらえに無理矢理作り上げたように感じられた。もっと丁寧に時間をかけて煮詰めていけば、ずっと面白い漫談になっていただろうに。勿体無い。実に勿体無い。日本にやってきた外国人のジョンソンが東京で独りぼっちにされて心細い気持ちになっている姿を描いた『KOKOROBOSOI』は、ちょっと面白かったが。これはまったくの想像だが、構成作家として参加している我人祥太が関わっているのではないだろうか。ネガティブな雰囲気と言葉のチョイスが、なんとなく彼のコントに似ているような気がしたのだが。

あ、ちなみに無観客収録なのでご注意を。


■本編【44分】

「漢字 其の一」「外国人だから」「漢字 其の二」「KOKOROBOSOI」「漢字 其の三」「和菓子のこころ」「漢字 其の四」「2020年オリンピック開催にあたっての諸注意」「漢字 其の五」「ケントくんの憂鬱」

あばれる君『あばれる君です よろしくお願いします。』(2014年5月28日)

先日、とあるトーク番組において、品川祐品川庄司)が「あばれる君に似ている」という主旨でイジられている姿を目にした。確かに、どちらも坊主頭で、似ているといえば似ている。だが、それ自体はどうでもいいことで、重要なのは、そこで特にあばれる君について、具体的な説明がなされていなかったという点である。それは、特に視聴者に説明しなくても、あばれる君のことは伝わる(=世間には既に知られた存在である)という前提を意味している。正直、この時点では、まだ私の中でのあばれる君は「『オンバト+』でじわじわと評価されているピン芸人」止まりだったので、その扱いに少し驚いた。恐らく、彼は私の知らないところで、着々と芸人としての知名度を上げていったのだろう。何処だ。

あばれる君はコントを得意とするピン芸人だ。ちょっとした問題に追い詰められている人間が、苦肉の策として選んだみっともない方法を、場違いなほど大袈裟に演じてみせることで笑いを生み出している……と、言葉にするのは簡単だが、実際に演じてみるのは難しい。もし、没個性な若手芸人が、彼のコントをそのまま演じたとしても、大した笑いにはならないだろう。あばれる君のコントは、彼自身が演じなくては意味がない。破裂寸前の風船のように感情をパンパンに詰め込んでいるようなあばれる君の演技は、人間の必死な姿を的確に映し出す。強い意志を感じさせる太い眉毛と感情豊かな表現を可能にさせる大きな目が、それを更に強調している。これらの要素を持ち合わせているからこそ、彼のコントは突出して面白くなる。無論、随所に散りばめられている、ワードセンスの魅力によるところも大きいのだが……。

そんなあばれる君にとって初めてのネタDVDとなる本作は、彼の傑作コントを寄せ集めたベスト盤だ。

『店長こだわりのグラタン』、『3年生 ~僕には守るものがある~』(※カンチョーのコント)、『高校野球 ~最後の夏~』など、代表作はほぼ網羅されているといっていいだろう。個人的には『ニートのヒーロー』が収録されていたことが嬉しかった。宇宙侵略軍に一般市民たちが攻撃されている様子をテレビで確認して、激しい怒りに震えているのに決して布団から起き上がろうとしないという、とてつもないバカバカしさ。本来のニートとは解釈が違っていたような気もしたが、そのズレを熱量の高い演技で完全に凌駕していた。観たことのないコントが幾つか入っていたのも良かった。『ひじ爆弾 ~重なり合わない点と点~』『ねぇ どこ?』『暴れん坊将軍』などは、そうそうテレビでもお目にかかれることはないだろう。『ねぇ どこ?』は、けっこうトイレで起こりがちなあるあるだよなあ……。

ただ、全体的には、ちょっと惜しい出来。初めてのDVD収録に緊張していたのか、あばれる君の演技が台詞を追っているように感じられたし、ネタ順も、設定が似ているコントが連続しているところがあって、ほんのり違和感を残した。そして、なにより……これは致し方のないことなのかもしれないが、コントに使われている鬼束ちひろの『月光』などの楽曲が似たようなオリジナル曲に差し替えられている点が、非常に残念だった。あの曲があってこその、あばれる君のコントだというのに……天下のナベプロがそういうところでケチってはいけない。

名刺代わりの一枚。悪くはないが、とにかく惜しい。


■本編【51分】

「店長こだわりのグラタン」「決死のウェディングケーキ」「露出狂 ~愛のテーマ~」「肘爆弾 ~重なり合わない点と点~」「ニートのヒーロー」「3年生 ~僕には守るものがある~」「3年生 ~みんなのために僕が行く~」「小説家志望 柳田勇」「8丁目出前先団地」「ねぇ どこ?」「ヒゲの生えた男」「暴れん坊将軍」「高校野球 ~最後の夏~」「当たり屋のお兄さん」